三浦宏之  インタビュー

聞き手・きたまり


 2015年 11月 狂気乱舞「イキツクト⚪︎コロ」               撮影:小熊栄


きた :今回三浦さんを誘わせて頂いた経緯として、去年に岡山で上演した『狂喜乱舞《イキツクト⚪︎コロ》』がきっかけなんです。あの時に一緒に踊らせてもらって、踊りながら私は感動していたんですよ。

 

三浦:素晴らしい(笑)

 

きた :踊りながら「あれ~この感覚は初めてだ」というか、「他人と一緒に踊ってこういう事ってできるんだ」っていう初めての体験に感動して、「これ次やったらどうなるんだろう、ぜひ京都で続きをしたい」と思い、今回「夜の歌」に誘わせて頂きました。まず、なんで私を『狂喜乱舞』に呼んで頂いたのか改めてお聞きしていいですか。

 

三浦 :それはあれですよ。告白ですよ。

 

きた :おお(笑)

 

三浦: 実際きたまりの存在を知ったのは東京にいたときで、丁度KIKIKIKIKIKIが何となく全国区というか、トヨタコレオグラフィーアワードとか横浜に関西圏から来たっていう。実際作品は見てないんですけど、ビジュアルとある程度の情報を見て・・なんか癖ありそうって(笑)

 

きた:そうなんですね(笑)

 

三浦: そのインパクトは強いものがあって、作品を見る見ないではなく印象としてあったんですよ。長い間きたまりって人がいるんだなって思ってて。それで岡山に移住してからdB(Art Theater dB KOBE)でちょくちょく会うようになって、この人とは1回必ず踊ろうと思っていたんです。それは僕の作品とかではなく2人で。そのタイミングが丁度、狂喜乱舞の《イキツクト⚪︎コロ》だったのかなって。

狂喜乱舞自体は僕が1人で12人のダンサーと1年間の間、毎月お相手させてもらう企画だったんだけど、とにかく初めに20人くらい候補のダンサーさんをリストアップした中にきたまりが入ってた。作品も見てないのにね。

 

きた:そうですね。

 

三浦:dBで一緒になった北村成美振付の『リバイバル』できたまりが踊っているのは見たけど、それは彼女(北村)の作品だし、それでオファーというよりも、なんかもう出会ってるんだよね、僕の中で勝手に。きたまりって人がいて、グサッていう瞬間に出会っちゃってる感じが勝手にあって、お願いしようって。それでOKしてくれるんだって(笑)

 

きた:丁度ね、『狂喜乱舞』の情報を夏ぐらいに知ってチラシ見て、あれって。誰かと一緒だった時に「何でこれ私呼ばれてないんだろう」って話はしてたんですよ(笑)

 

三浦:そうなんだ。

 

きた:このラインナップだったら、そろそろ私呼ばれるはずだけどって(笑)

 

三浦 でもその時はあんまりこんな「あのさ~」みたいな感じじゃなかったよね。

 

きた:ないですね。

 

三浦: dBとか公演の後に飲んでてもさなんか、遠くだよ。「きたまり、こっちにこないかな~」って思いながら(笑) ただ自分からどうもって行くタイプでもないので。

 

きた :すいません(笑) 

 

三浦 :いやいいよ。逆に「どうも~」ってビール持ってきて「隣いいですか」ってこられると引いちゃうっていうか。

 

きた: あ~なるほど。参考になります(笑)昔はやってましたけどね。

 

三浦 :僕も昔はやってたよ。でも、馬鹿みたいだなって思ってやめた。

 

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当時のマーラーのカリカチュア・超モダンな指揮者
当時のマーラーのカリカチュア・超モダンな指揮者

 

きた:今回はマーラーということですが、どうでしょうか?

 

三浦:一応ね、マーラーについては色々と調べたんですよ。

 

きた : おお!

 

三浦:マーラーって生きている時代は指揮者としての評価が主で、作曲家としての評価はそれほどでもなかったっていう、そのことを知って色々とイメージがひろがったかな。

 

きた:ちゃんと調べてますね(笑)

 

三浦:その時代に相手にされなかったものが、後世になって浸透していくっていうのは、自分個人に向けて考えるところがある。

理解って「これはこうであ~で」っていうものじゃない。抽象表現をやっている以上、時代と、社会と、時間と空間とのギャップは必ずある。例えば僕が作品を上演したときに、ショービジネス的に批判されようがいいんですね。率直に自分がこれを作って見せますってことがやりきれれば僕はそれでいい。でも、後世になってビデオ作品見て、「これは!」ってなることはないと思うんだけど、まあそれでもいいかなと思ったり。

自分が今やろうとしていることと、ここから残りの人生をどう表現活動していくかという事の力添えになっているんです、マーラーの存在とか。

やっぱり生きているうちに表現していても、日の目を見ずに犬死にしたり自殺した人もいる訳で。悲しいとか、ひもじいとか、辛いとか、辛いかもしれないけどそれでもいいんだって、好きでそうしている訳だからいいんだなって。今現代のきたまりがマーラーの曲に自分の体を当てていこうっていうのはすごく僕としては腑に落ちるかんじ。

 

きた: ふふ(笑)

 

三浦 :マーラーの曲を聞き込んでいる回数は僕ときたまりでは群を抜いて違うと思うんだけど。

 

きた :ははは(笑)

 

三浦:そこに追いつこうとは思わないけど、そこまでやってるんだなっていうのは分かるので、自分なりにできる所まではと思って聞いてます。でもやっぱり変な曲って思うけど(笑)

 

きた :そうですね(笑)

 

三浦: 大体クラシックあんまり聞いたことなくて、今回をきっかけに(マーラーを)聞き始めるようになった。どのクラシック音楽も笑っちゃうんだよね。構成の展開とかマーラーを聞いててもクスクスって(笑)

 

きた :マーラーは笑えますねー。

 

三浦: ほかの人の曲も結構笑っちゃう。抑揚が必要以上だったり。「うわー、こんなに来ちゃうかー。なんだこれ!?」みたいな(笑)当時の人たちは多分すごくまじめに作っていて、全然違う感覚で、重い深いところで表現にしているんだなと。それを今現代でこのスピードで生きている僕が聞くとやっぱり笑っちゃう。太宰治の人間失格をげらげら笑っちゃうのと一緒のような感じ(笑)

 

きた それはわかります(笑)

 

三浦 :時代や現代社会と、当時の時代のギャップみたいなものが感じられるのは、現代音楽を聞くよりも激しい。

古典だけど現代に生きている感じがする。もっと深くまでいくと、「死」というもの、「死」という概念が変わってきている気がする。「死」って肉体が滅びて、骨は残って土に埋められて、年と共に肉体の存在は失うんだけどね。でも、「観念」として生きつづけることは可能な気がするんです。

 

きた:それは、死んだ人の周りの人の中で、記憶として生き続けるという事ではなくて?

 

三浦:違う違う。要するに、表現したものがその人を生かし続けるっていう。結果的には後世の人が語り継ぐんだけど、生きた人間が思考とコミュニケーションで繋げていくってこと。その人の「観念」というのは、他人のコミュニケーションの語り継ぎで生き続けていくのではなくて、その人の創作物が「観念」の命を繋いでいくっていう。特にマーラーの7番とか、それをすごく感じてる。他のはまだ聞いてないけどね。

僕は創作を続ける中で「死」っていう概念が変革しているかなって。 変革してるその先に僕は行きたいな、向かいたいなっていう。三浦さんの作品は弱かったから死んじゃった、でも良いんだけど、自分の向かうべき方向っていうのは、この先に表現を続けていくにあたって、「観念」として生きるっていう「死」を選ぶための創作が出来ればな、と思って。そんなときね、マーラー聴いたりして、情報を調べたり、朧げながらにマーラーと語らったり、その人たちが語り継いでいくわけだよね。そうすることで、マーラーって観念的には死んでないわけです。

で、今我々がマーラーの創ったものを感じて、どう投げ返すかっていうか、マーラーさんなんて知らない人じゃん。だけど、何か応えてくれるんじゃないかって。要するに死者とのやり取りが出来るっていう。

勝手に自分がこう思ったから公演をしました、って3年後ぐらいしたらマーラーに教えてもらえることがある、でもそれは、まず上演しないと、そういうコミュニケーションはとれない、なんかそういうところ。

個人的にマーラーさんと対峙して、彼がどう考えてどういう感覚をもってどういう時代を生きてこられたかっていうのを教えてもらってる感じ。で、その人の教えてくれたことに対して返したい。そしたら次は(マーラーさん)どう来るの?みたいな。おーじゃあ死んでねぇんだなっていう。でも、そういう現象ってあるんだよね。馬鹿みたい、何言ってんだって感じだけど、ほんとに。(笑)

 

きた : ほおー! 三浦さん、お幾つになられたんでしたっけ?

 

三浦 : 71年だから45、45歳。

 

きた : ……そっか、まだ早いですね。

 

三浦 : 早い?

 

きた : 死と表現について語る年代っていうのがあるんですよ。でも、大抵50歳を過ぎてからだなぁと思って。だから、早いなって思って。

 

三浦 : 表現者って、人によるでしょうけど、表現したい欲求って死に直結してるっていうか

 

 

きた : 死に直結…それは、すごく理解出来ます。

 

 

 

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きた :三浦さん、京都で踊ったことあります?

 

三浦 : 自分が踊ったことは、ない。初めてです。

 

きた :そうなんですね!去年三浦さんの振付作品が京都公演の時は踊ってなかったですもんね、それ以前に何かあるのかなぁと思ったけど。

 

三浦 :ないです。

 

きた :あーほんとですか。それはすごい!

 

三浦 : 三浦宏之、初めての京都デビューです。

 

きた : 意外!そうでしたか。それは楽しみですね。(笑)

 

 

三浦 : だから、嬉しいなと思いますよ。きたまりの作品で初京都っていう。自分から京都でやらせてくださいっていうのは自分が踊る場合はね、ないと思うんですけど。初めての機会をきたまりがマーラーを提げて与えてくれたっていうのは、なんか核心がある。説明できない核心みたいなもの。絶対ある。誰かが「三浦さんソロを京都でやって下さい」と言っても考えてしまう。

 

きた :ふふふふふ (笑)

 

三浦 :今回はきたまりが「自分の作品に出て!」っていうオファーでよかった。そしてマーラー。やるって決めて、そこからマーラーをすぐ調べて、ここまでくる段階で核心に至った。やっぱり京都で初ってゆうのが、きたまりの企画だったのかと。運命主義じゃないですけど、決まってるというか。この後ないかもしれない、僕が京都で踊るとか・・・。

また呼んでくれたら踊るけど。呼んでくれたらね!(笑)呼ばなくてもいいよ、べつに(笑)

 

きた :ハハハハハ(笑)

 

三浦 :無理しないで(笑)

 

きた :今回も踊りながら感動しちゃったら、また呼んじゃいますよ。

 

三浦 :まぁ、幻滅しちゃうかもしれないしねー。

 

きた :例えば、『狂喜乱舞』の出演者の中で、過去に一緒に踊った事がある人とかいるわけじゃないですか。期間踊って、また期間をおいて違う人と踊るっていう事で何かちがいます?

 

三浦 :かわる、かわる。かわるからねー。根底で一緒っていうことはあるのかもしれないけど、わざわざ言語化しなくても共通理解としては変わんない。でも、アプローチは皆それぞれ変わっていくじゃない。自分の身体に対してのアプローチや、その時々の考え方の変化もあるし。今回も『狂喜乱舞《イキツクト⚪︎コロ》』と『夜の歌」は違うだろーなと。

わざわざ違う事をしようとは思わないけど。『狂喜乱舞』で、きたまりとコミュニケーションをとったし、喋ったりしたし・・・なんか出会った頃に比べたら、きたまりの事少し分かってきたかも?!ってみたいなものもあるし。

 

きた :うんうんうん

 

三浦 :でもそれって、スゲー多面的なものの、小さな一面でしかないから。別の面がもっと見えて感じれて、新たな・・・いや「新たな」じゃないな。「きたまりの事もっと知りたい」って言うことかな。もっと多面的であることを認め合った上で理解しあいたい。だから、前回と多分違う、違う違う違う!違うと思うよ!

 

きた :繰り返しましたね!(笑)

 

三浦 :たぶんね、核心の部分は変わらない。きたまりと出会う前に、きたまりと勝手に出会っちゃってる部分みたいなものは変わらない。

それは、きたまりの全貌ではなく、本当のきたまりでもないかもしれないけど、それが僕にとってのきたまり!って感じかな。こんなんであってんのかなー。

 

きた :うん……あってるか分かんないけど。今回のオファーは三浦さんに無茶ぶりしてるつもりなんですが、、、あんまり感じないですか?(笑)

 

三浦 :無茶ぶりだよ!(笑)

 

きた :ハハハ(笑)無茶ぶりと捉えてないんだろーな。すごいなーたくましーなーって思ってたんですけど。

 

三浦 :無茶ぶりは無茶ぶりだと思うよ!別の人だったらやらないって思うよ!なんかそこが、人を選んでるって言うのがあるかも。だって、一応「好きにしてください!」とか言いながらも、「それは、三浦さんがどうするかで決まります!」とかって言われるわけじゃない!

 

きた :ハハハハ(笑)たしかに!たしかに!(笑)じゃ、ま、そんなこんなでどうぞよろしくお願いしまーす。

 

三浦 :お願いしまーす。無茶ぶりは大歓迎!(笑)

 

きた :無茶ぶりはねー。楽しいですよねー(笑)